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■ 出生の秘話
当寺の本寺は稗貫郡の萬畳山大興寺である。大興寺は岩手県内の曹洞宗では大層な古刹で、永徳元年(1381)3月、永平道元承陽大師より六代目太源宗眞(太源派の祖)を嗣法した梅山聞本(もんぽん)禅師(美濃・岐阜県)が開山されており、七ヵ寺の末寺を持っています。
当寺を開山した大興寺十世膽陽宿斉如幻充察大和尚は文明4年(1472)生まれと思われます。その出生については次のような話が『二郡見聞私記(松井道円著1726年没)』にあります。「(如幻塚は)寺林村光林寺西の道、地蔵堂へ行道折廻しの角南の方、畑の中に杉五六本有、地面は四畳敷程少し高き処也。是、里人の伝に、如玄(幻)充察和尚誕生せし塚なりと。大興寺九世宿鷺充怡和尚此処を過るに、古塚の内において小児の鳴声あり、則ち其塚を掘て見るに幼児を掘出す。和尚是を抱き寺へ帰り養育、長と成に及てその才衆に勝れたり。後に宿鷺和尚法流大興寺十世の席を継げり。又、仙台領気仙郡普門寺は則、此如玄和尚開基也と伝う」とあります。又、普門寺の末寺で如玄大和尚が開山した大船渡市の法量山洞雲寺の寺伝には「如幻充察大和尚は石鳥谷の人。大興寺住職充照(怡)和尚がある夜、神人が夢枕に立たれ、昨日の新葬の新妻の棺中に一子あり、汝この子を養い成長させるべし。必ず一方の禅伯となる人なり・・・とお告げをうけた充照和尚はただちに墓地に行き棺中より子を得て愛育して弟子となし、充の一字を与え充察とした」とあります。大興寺の『当山御影年号月日記焉』には寂年を享禄元(1528)戊子年4月19日と記されています。
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■ 普門寺開山の経緯
普門寺中興開山のいきさつについては大興寺『歴住記』によれば、葛西家壺(坪)館城主佐々木安芸守胤綱が一寺を建立し永正元年(1504)大興寺十世(普門寺開山とは書かれていない)を招いて壺中山(こちゅうざん)無極寺(むこくじ)を竹駒町に開山しました。ちなみに如幻大和尚はその時米ヶ崎城の千葉宗綱に招かれ行く途中であったといいます。その後永正3年(1506)、普門寺を開山(当寺住山記では永正元年)しました。その後、普門寺を隠居していましたが、大船渡の田茂山古館根城の千葉備前守盛綱の招請により法量山洞雲寺(とううんじ)を開山し、永禄6年(1563)12月19日、92歳で洞雲寺で示寂したと記されています。普門寺は葛西の大身浜田氏の下であり、末寺十二カ所を持つところにより気仙郡の曹洞宗の触頭を務めました。無極寺の方が先に開山したと思われますが、大興寺は遠隔地でしかも他領であり、又、如幻大和尚が普門寺に永く務めていたことにより無極寺も普門寺の末寺になったものと思われます。 |
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