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鎌倉時代からの長い歴史をもつ普門寺は、南三陸を代表する名刹です。
寺内には開祖が宋から携えてきたといわれる宝物、境内には江戸時代後期に建立された三重塔や大仏、県の天然記念物に指定されている百日紅(サルスベリ)の大木などがあり、大勢の観光客が訪れます。
2001年には開闢760年を迎えました。
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当寺、前開山記外和尚は山城国(京の南部)の生まれで、京都臨済宗建仁寺の栄西和尚の徒弟なり。弁道已に成り、入宋し求法のための彼の地に留まり臨安府の径山(きんざん)寺に住く。帰朝に及び、大元太宗帝より種々の宝贐(ほうじん)を賜る。今の本尊観音は五種の宝物のひとつなり。南海より帰朝に及び本朝に仁治2年(1241)8月、当郡浜田浦の岸に着く。時の郡司は金右馬亮(こんうめのすけ)安倍定俊なり。寺を創立し、師を迎え、観世音を安置され、南海の補陀山になぞらえ、山号を海岸山、寺号を普門寺とし、師をもって開祖とした。
その後、仁治2年より永正の始め(1504〜)に至るまで歴類はなはだ遠く、住山の僧侶の行実見知ることあたわず。
永正の始め、浜田米ヶ崎の城主千葉中務(なかつかさ)太輔宗綱、南部稗貫郡大興寺住職如幻和尚を招き、廃寺を整え、これを伽藍とした。
永正3年(1506)3月13日入院する。(住山記・寺伝では永正元年)。これより曹洞宗とし、大興寺を本寺とする。それ以来血脈相続き、三十三世代となる。暦類、今、明治12年(1879)まで374年なり。
境内 1650坪 官有地
境内佛堂 一宇 観音堂
本尊 正観世音
由緒 右本尊開山如幻和尚之を寄附
※この由緒記は明治末岩手県教育委員会がまとめた『寺院概要』による。 |
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